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シてるとき、


言ってしまう言葉、というのがありますね。


女子各人において、癖、というかよく出てしまう言葉があるのだと思います。




すごくイイとき、なんていいますか?


「きもちいい」?


「イイ」?


ナツコさんは「カンジル」って言ってるなあ。


出ちゃうんですよね、それが。


「かんじるのがこわい」っていうのがあるので、


「カンジチャウ~」って。


いや、きもちーんですけどね。



それとね。


「おっきい」っていうのも、言うかも。


・・・・・うん、言う。


これはねえ、


誰かと比べておちんちんが大きいですよ、っていう意味じゃなくて


いま、


カラダのなかで大きく大きく存在感がありますよ、っていう意味です。


他の棒との比較なんてしてるヒマないもん。


そんな事いったら、


いつも実物よりかなりでっかでっかなお道具を使っているナツコさんは


誰の棒でも「ちっさ」ってなってしまいます。


実際はそんなこと、全然思わないです。



イレテホシイという願いや


やっともらえたっていう充足感が


「おっきい」って言葉を生むんだろうなあ。



あとね、


いつも思うのはね、


あんな小さな肉体の一部を


穴にいれて動かすだけで


あんなにオカシクなるなんて、


凄いなあって。



どうしようもなく狂わされる感じが、「おっきい」の。





・・・・・はぁ~。


もうずーっと空洞です・・・・・









羞恥心を突き詰めていったらなにが残るんだろう?


なにが恥ずかしいの?


わたしは人と違うことは恥ずかしくない。


自己評価は著しく低い、泥沼のなかに沈んでいる。


もともとが「違う」のだから


世間一般に指差されても笑われてもいっこうに傷つかない。


嫌われることも怖くない。


だって最初から価値なんかないんだもん。


嫌われることは価値があってこそできること。




では何が恥ずかしいのか。


世間一般と同じであることが恥ずかしい。


とくに「女子」なことが恥ずかしい。


価値のない、人間ですらない自分が


いっちょまえに女の子ぶっちゃうときが非常に恥ずかしい。


それをなくすには


自分もまた「女子」であることを自覚すればよい。




ということは、


羞恥心をなくすということは


あらゆる段差をなくすこと・・・・?



自分のなかのあらゆる差をなくすこと。


フラットでいること。


臨機応変さも必要かもしれない。




でも、


恥ずかしくないと気持ちよくないもんね。


とっておこう。



かをりさんのコメントで


「かわいい悩み、ティーンみたい」との言葉を頂きました。


あ、顔か中か問題です。





そうなんですよ。


ナツコさんは今の10代の方々よりコドモです。


10代なんてねえ、


ほんと、


「15、16、17と・・・・アタシの人生くらかあったー」って


これがテーマソングで、いっつも歌ってました


(昭和歌謡ばっかり聞いてる10代・・・)。



なーんにもなかったもん、10代なんて。


20代はそこそこあったし、


世の中ではへんたいと言われるような性・行為もしましたけど


中身が全くともなってないんです。


だからね、「ろすとばあじん物語」なの。


ほんと、未熟。





今までしてたセックスって


「コノヒトが好き、自分のものにしたい」って思いが強くて


だから「セックスいっぱいすると愛されてるみたい」で嬉しかった。


快感なんてついてきていないのに、


すればいい、みたいに思ってました。


あとは好奇心ですねえ。


「この男とシてみたい」⇒シてみる⇒1,2回で飽きる


心も身体もがちがちな処女のままセックスしてるから


楽しくともなんともないのです。




30も後半になって、やーっと少しずつわかってきた、のかなあ・・・


「好き」だけでよくなったしね。


自分のものになんかならない、そんなのは恐ろしいこと、って


身に染みてわかったし。



好きっていうのももちろんあるんだけど、


いっぽんの肉の棒に


狂わされる、


あの感じ。



いやー、まだまだコドモです。


でもね、


「DVシェルターになんか入りたくない」とか思い詰めてるより、


「ああ、顔か中か、顔か中か・・・・」って


ウヒウヒしてるほうが楽しいって気づいたんだー。










ねーえ?


顔に出すときってね、


抜いてね、ちょっと距離があるでしょ?


その時、そのままピューって出るの?


それとも、手でごしごしするの?




ナツコさんの考えても考えても結果の出ない


「中?顔?どっち?」問題なんですけど。



一番は中なんですよ。


でもね、でもね、顔もイイもんなあ~。


かけられておちんちんでこねくりまわされたい。



でもね、


抜いてごしごしタイムがあるとすると、


それは興ざめです。


「ああああでるうううううッ」っていう間抜けなほどの勢いのまま


ほしいんだもん。


ぬいてごしごしは・・・・・いやん。



笛ら千代して顔、なら距離がないんだけど、


如何せんおセクじたいがあまりにも「たまのお楽しみ」すぎて、


そんな、口でして出しちゃう、なんてできない・・・


それはよく会える人たちの趣味であって・・・・


ごくごくごくごくたまーーーーーーーーーーーーーーにだと、


やっぱり挿・入して出してほしいなあ・・・



中・・・・・


顔・・・


中・・・・


顔・・・・





ああーん、


悩んでも悩んでもどっちもほしい~。


どんなに悩んでもそんな機会ない~。



うおおおおおおーん。

落とし穴に嵌まって起き上がれないでいると、


色々気づくことがありますねえ。


今回は


「ああー、前は毎日こんなんだったっけ。


今は違うんだなあ。


毎日しんどくないんだなあ」


と気づきましたです。


そ、


ナツコさんはずーーーーっと「あー、しにたいしにたい、あーしにたい」って


思ってしんどい苦しいからだを引きずって生きてて、


それがふつうの状態だったのに


ここんとこ、そんなこと思いもしなかった。


ま、だからね、長年連れ添ったオトモダチが訪ねてきても


不思議はない訳です。


そんな急にサヨナラはできない。



あとね、


自分の「甘え」についてもわかったことがありました。


ナツコさんねえ、


いっつも甘えたくてしょうがなかったの。


いっつも淋しくて、悲しくて、空しくて、


誰かに甘えたくて甘えたくて、それこそシニソウだったの。


でも、そんなことしたこと一度もない。




だから本当は


「ねえ、今、苦しいの。助けてほしいの、抱きしめてほしいの」って


その場ですがって泣きたいんだって思ってたのです。


したいのに、我慢してるんだって思ってた。


自分は甘え下手なんだって。




・・・でもね、なんかね、チガッタみたいなんですよ。



苦しいときはひとりで苦しみたい。


やせ我慢じゃないのです。


あのねえ、


ナツコさんだってね、


本当は「今すぐ抱いて」の可愛い女子がいいんですよ!!


これ、かっこつけでも皮肉でもないんです。


ただ、自分はそこで甘えても楽しくないんだってわかったの。


そこで優しい言葉をかけられるのもあまり好みじゃないってわかったの。



苦しかったよ、って後で話すのも、好みじゃない。


ナツコさんが苦しさを表すのは


ただひとつ、


書くとき、だけ。


それも誰かにわかってほしい訳じゃなくて


ただ書きたいの


(・・・それを、ダレカが読んで、何か感じてくれたら、


ほんとうに素敵なことだと思います)。




男のひとでも、女のひとでも、


いつだってナツコさんは甘えてるんだなあってわかったのです。


ほっといてくれる人しかいないもん。


そういう人がここちいい。



で、


ナツコさんが甘えたくなったとき、


甘えさせてほしい。


それは「苦しかったの・・・・」とかじゃなくて、


楽しくお話したり、お茶したり、のんびりしたり、ってことでいい。


甘えたいときに勝手に連絡して、


「いいよ」って受けてくれて、


仲良くしてくれるのが、


すっごくすっごくすっごく嬉しい。





あとはね、


男のひとでいえば


ほんとうに柔らかくくにゃくにゃになって甘えるのはね、


セックスする時だけでいいな。


それも「ねえ、好き?」とかそういうのじゃなくて、


・・・・なんだろ。


服、脱いで、裸になって、


触れあってそれできもちよくなってしまう自分を


明け渡すってことが、


最大限に甘えてる状態なんだなあ、きっと。




電話とかメールとかでふにゃふにゃやるのは好みじゃないみたいです。


まったく可愛くない。ちえ。


あー、なんだかつまんなくなってきた。ちくしょう。


「わたしのこと、好きって言って?」って言えるような


女の子になってみたい!!!!!ぎゃおー!!


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